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はたらく投資家

サラリーマン生活に疲れきっている投資家が奮闘する日記(ポロリはないよ)

資産公開2016.11

資産公開

7,632,812円-カードローン残高1,448,840円=6,183,972円(前月比+458,902円)

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アメリカではトランプが大統領選に勝利して1月には大統領に就任するようです。

大統領選当日はとてもはらはらしましたね。トランプになってもう終わりかと思いきや、翌日には日経平均は大幅反発。いまでは円安も進み、大統領選前の水準を超えています。

世の中どうなるかわからないものですね。できることといえば、今現在で考えられ得る限り合理的な行動をとるしかありません。

合理的な行動が当たるか外れるかは最終的にはやはり運ということになるのでしょう。

知識のない人に説明しても分かってもらえないのはしょうがない(のれんの償却について)

ばるぶと学ぶ会計

分からないものは分からない。最近ふつふつとそう感じている。

分からないことを誰かに説明しても、逆に私が分からないことを誰かから説明されても分からない。

説明されたらすべてを理解できるような人なんてこの世にはいないだろう。少なくとも私はあったことがない。

 

そもそも分かるということはとても深いことだと思う。人それぞれレベル感が違う。

ある人が「分かる」と思っても、ほかの人から見たらそれは「分かる」レベルに達していなかったり、ある種の誤解が生じている可能性がある。人それぞれ「分かる」に違いがある。つまり、「分かる」かどうかは本人がある事象に対しての説明や報告を聞いて、腑に落ちたかどうかによる。

 

本題に入ると、企業会計上の「のれんの償却」についても同じことが言えるのではないかと思ってこの記事を書いている。

 

のれんの償却方法によって企業の利益は変わっていく。ニュースにたびたび出てくるのを皆さんは見たことがあるだろう。そもそも全く興味がなくて見ていないという人もいるだろう。私もそのうちの一人だ。大体内容は想像がつくから見ていない。

 

さて、そもそものれんとは何なのだろうか。ちょっと考えてみよう。

 

のれんとは

のれんとは、企業買収・合併の際支払われる買収・合併される側の純資産を超過して買収・合併する側が負担した部分であり、「継続企業としての評価」、「シナジー効果の評価」、「買収・合併する企業の過大な支払」、「買収・合併される企業の資産認識と測定の誤謬」が主な構成要素であるといわれている。

 

のれんの償却方法の考え方2通り

毎年規則的に償却していく

①のれんは売却することができず、利用することにより収益を生み出し支出分を回収する資産であるから有形固定資産と同じように償却すべきである

②のれんは時間の経過とともに減価すると考えられており、仮に減価が認められない場合においてもそれはのれん取得後の追加的な投資によって価値が維持されているに過ぎない

③のれんの減価しない部分について合理的に分離することは困難。実務上煩雑。

④のれんと同じ効果のものを買収・合併ではなく自己努力によって取得しようとする場合のれんの償却と同程度の支出が必要なはずであり、その支出は費用計上されるため

 

 

償却をせずのれんの価値が損なわれたときに減損処理を行う

①のれんは将来の収益力によってその価値が変化するものであるから収益性の低下した際に減損すべき

②のれんには減価しない部分も存在する。追加的な投資によって価値が維持されているとしても暖簾全体の価値が減価しないのであれば償却すべきではない

③のれんには減価しない部分もあり、減価する部分においても耐用年数や償却のパターンを合理的に予想することは困難。一律に償却すると恣意的な費用の計上を助長してしまう

④のれんを償却する場合償却費+価値を維持するための支出が計上され、費用が二重計上になってしまう

 

株価への影響について

投資家にとってのれんの償却方法がなんだかんだといわれても企業の本質的な価値が変わるわけではないが、資産・純資産額であったり、利益が変わってくる点においてはかなり重要となってくる。

どちらの会計方針を採用したほうが株価が高くなるかというと一長一短だが、のれんが減価しない限り、規則的に償却しないほうが株価が高くなる傾向にある。

償却しない分、利益や純資産が償却する法よりも大きくなり、株価が同じであればPERやPBRといった数値も低くなり、"割安"感があるようにみえるからである。

 

最後に

人に伝えるって難しい。のれんの償却処理についてもそうだ。この文章を見て何を言っているかわかる人もいればわからない人もいるだろう。人に伝える努力を怠ってはいけないとは思うが、そればかりに気を配る必要があるのだろうか。今後、一生そう思いながら生きていくのではないかと思う。そう思うとつらい。

最近グーグル翻訳がパワーアップしたというニュースを見たが、英語→日本語、日本語→英語などのように他言語を翻訳するだけでなく、専門家→素人への翻訳機能が付いた人工知能も開発されるといい。そのうち開発されるんじゃないかと思う。一人一人の専門性を高めていくとコミュニケーションが難しくなる。そんな問題を解決する人工知能はかなりの需要があるだろう。

 

では。

ファンダメンタルズ投資の考え方

投資

上場している株式の株価は基本的には毎日変動しますよね。なぜ変化するのかということを考えることが投資についてより深い見識を得るために必要だと思うので少し考えてみましょう。

 

株価は主に、「会社の業績」と「投資家からの評価」で日々変化していきます。

 

「会社の業績」とは

四半期に一度公表される四半期報告書・有価証券報告書・決算短信などで確認できる会社の売上・利益・財産・負債・キャッシュフローの状況のことです。特に会社の稼ぐ力が反映される経常利益と株主に帰属する利益である当期純利益に影響力があります。

株主からみた「会社の業績」を測る尺度として、EPSというものがあります。Earning Per Share(一株当たりの純利益)のことです。純利益÷発行済株式総数で計算されるものです。計算式のうち、純利益と発行済み株式総数については確定しているモノなので、「会社の業績(EPS)」は変わりようがありません。

 

「投資家からの期待」とは

企業の利益成長がどの程度見込まれるかが「投資家からの期待」です。見込まれる利益成長が高いほど期待が高いと言えます。企業の主体的な行動や、企業を取り巻く経済情勢のなかで常に変化していくものであり、最終的には業績へと収斂していくものでもあります。決算ごとにリセットされるイメージのものといえばわかりやすいかもしれません。つまり、「投資家からの期待」が「会社の業績」によって実現・修正され、株価が変動していくのです。

株主から見た「投資家からの期待」を測る尺度として、PERというものがあります。Price Earnings Ratio(株価収益率)のことです。株価÷一株当たりの純利益(EPS)で計算されるものです。EPSは変わりようがないものに対して、株価は常に変動するものです。株価は投資家からの期待が大きいほど高くなり、期待が小さいほど低くなります。つまり、PERは「投資家からの期待」が大きいほど高くなり、「投資家からの期待」が小さいほど低くなります。

 

株価とは

今まで見てきた中で、株価=「会社の業績(EPS)」×「投資家からの期待(PER)」であるということが言えます。株価=(純利益÷発行済株式総数)÷(株価÷一株当たりの純利益)ですね。EPSとPERに株価を分解できるともいえるでしょう。

このうち確定していないものは、株価です。ほかのものは確定した事実として存在しています。投資家からの期待(PER)については、どこが最適水準なのかというのは神のみぞ知るということになります。

神のみぞ知る最適水準を「予想」して投資するのが投資家の基本姿勢ということになります。もちろん一定のラグがあるため、業績が即座に株価に完全に反映される訳ではないのでそれだけが投資家として生きていくための方法ではないのですが、それでも「予想」一番大きな要因となってくることには間違いないでしょう。予想のセンス・精度が投資家として生きていくための必須要件となってきます。

「予想」のセンス・精度をどのように磨いていくかを考えていくことが投資家としてのスキルをあげることにつながるでしょう。

 

では、今日はここらへんで。

義務教育って必要なのか?

考えたこと

社会人になって4年ぐらい。

 

最近ふつふつ思うことがあります。

義務教育って必要なの?ということです。

 

義務教育というと小学校で6年、中学校で3年。合計9年。

とにかく長い。社会人で9年なんていったら新人が管理職になる長さです。

 

小学校1年生と中学校3年生ではある程度の成長はしているでしょう。人間的にも、知能的にも。でも、そのスピードをもっと早めることもできるんじゃないか、と思うんです。もちろん、ある程度の余暇があってこそ人間的に成長できるのかもしれませんし、自分自身で考えて能力を伸ばす人もいるでしょう。

ただ、毎朝8時9時に学校に行って4時5時頃に帰らせてその間すること授業といったらノロノロした緩い勉強ぐらい。

算数でいえば足し算引き算掛け算割り算だけで6年間ってどういうことだよって話ですよね。いや、もちろん文章題とか文章を読解して解く能力を鍛えるものとかもありますけど、分かる人にとってはその時間が苦痛になってしまうのではと思います。わからない人にとっても同じように言えるでしょう。

他の科目でもそうですよね。小学校で習う漢字は大体1000字のようですが、1日1字覚える程度ですよね。小学校の頭の柔らかいときなんて特に記憶力がいいんですからもっとハイスピードで学ばせるべきではないでしょうか。のんびりしすぎだと思います。

 

集団生活を集団生活を学ばせたいのであればそれはそれで勉強とは別の方法でやればいいんじゃないかなあと思います。週に2日はレクリエーションに参加するとか、自由学習をさせるとか。

勉強は個別個別に進捗具合もあるんだろうし、子供の学力を見極めた運営にすべきではないかと思います。

 

ふと思いたって書きなぐってみましたが、どうでしょう。いまさらながら小学校と中学校では高校時代・大学時代・現在と比べても暇だったという記憶が強く残っているので書いてみました。